最後はゲームな話になりますが

[子供時代の知的刺激が一流生む…研究者を調査]
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040203-00000501-yom-soci
 スパルタ式など英才教育は、確かに同学年においては知識量において勝り、エリートコースへの足がかりになります。また、語学や芸術・運動技術については幼年期から学ばせることは確かに効果的です。それ故英才教育が無くなる事は無いと思いますが、この調査結果は実に興味深い実証です。
 別に驚くべき事でも何でもなく、子供の教育に携わる一部の人間にとってはこれらは常識でもありました。「子供の頃に、知的好奇心、生活の内外にいろんな不思議さ、楽しさ、素晴らしさを見つけさせる事。これを覚えた子供は実に進取の気性に富む人間に成長できる。一方こうした事を覚えなかった子供は、大人になっても何かに感動することもあまりなく、面白い事もあまり見つけられず無気力になってしまう。こうした点をよく踏まえて子供を教育していくべきである」というような感じのね。ルソーなり、リリアン・H・スミスなどを参照のこと。
 コンピュータゲームおよび漫画の功罪について罪の面を挙げるならば、子供から外界の興味を奪ったことにある、と言えるでしょう。しかし、現在の社会や教育はそもそも、子供の知的興味にはあまり関心を払わないどころか、それを邪魔する方向にあるのです。そうした中で、コンピュータゲームや漫画が、外界の代用となっている面も見逃しては成りません。かつてはこの役割は児童文学や小説だったわけですが、この2大勢力に取って代わられました。そしてその分、責任というものが発生してくるのです。
 「コンピュータゲームや漫画のメディアは子供の教育もしっかり考えて作らねばならない? 制作者は責任感を持て? そんな事ばかり考えていては作品が作れない」これも仰るとおり。この場合、取捨選択をするのは親をはじめとする大人の役目です。子供がつまらない作品ばかり手に取ることのないようにしなくてはいけないのです。しかしこの場合、良いものを親がしっかり見分けなくてはいけません。児童図書は選別がなされておりそれを与えれば良いだけだったのですが、ゲームとなるとそうはいきません。現時点では、親自ら、子供に与えるゲームは自分遊んでみて判断する必要があるのではないか……と私は考えています。
 当初の主題からはずいぶん離れた話をしてしまいましたが、どこかで書きたい話題だったので。