テーマによって作品の出来が決まる?

 良い作品を作ろうと思うと良いテーマを考えたがるらしいですね。で、なかなか良いテーマが思いつかず作品が書けないという事になっているようです。「テーマなんて後にしてとりあえず書け」が良いとは思っては居ません、確かにテーマを持って書いたほうが良いとは思います。後付的にテーマを付けるとなんだか浮いて見える危険性があるからです。
 これについては以前私は、「テーマはそんな高尚なものじゃなくてよいから、素直に自分のモチーフを作品にすればいい」と書いたことがあります。「文学的な意味におけるテーマ的なものは、特に意識しなくても、無意識的に表れていくものだから」と。メイドさん萌えーな小説を目指して書いたって、本人は意識しなくても共生とか平和とか友情とか、道徳的テーマは自然と盛り込まれるから大丈夫、という意味です。
 本題。表題のように、良いテーマを狙えば良い作品になる、と思っている事について。そんな事はありません。テーマが優れていても、どのように表現するか、つまり書き手の資質と努力次第で作品の出来が決定されます。逆に平凡なテーマでも、その表現次第で大変味わい深いものになるわけです。リリアン女史(リリアン・H・スミス)がそう仰っています。テーマも結局のところ題材に過ぎません。かえって凄いテーマほど、それを消化するのは至難の業となり、失敗しやすくなります。
 挑戦するのは良いと思いますが、自分の持っていないものを表現するのは難しいものです。背伸びは10センチが限度で、それ以上狙おうとすると失敗する、という風に肝に銘じておくと良いでしょう。
 というわけで、「テーマそのものは出来を決定しない」が結論です。ただ、この話には続きがあるので、後で書くことにしましょうか。