川は流れなくなると腐敗した沼と化す

 ネットゲームの多くは課金サービス制であって、これすなわちできるだけ長くユーザの興味を引きつづけなくてはならない。完成度の高い作品を投入したとて、その後本当に何もしないのであれば、よほどサイバネティクスが実現されていない限りはユーザの興味は離れていくことであろう。サイバネティクスについての知識がない人はここでは機構の流動保存性とでも訳してもらいたい。サイバネティクス理論はネットゲームにおいてかなり重要な概念であるが、あまりこのことに気づいている人は今のところ、居ない。
 ともあれ、製作側、運営側が行うべきはシステムの追加でありイベントの提供である。勿論セキュリティやBOT、チート対策も必須だ。サイバネティクスとして実現できていないものは手作業でカバーしなくてはならない。ともあれ、これこそが川を流れせしめる力なのだ。ここに上げたもののうちどれを怠っても流れは鈍くなる。流れない川というものは沼となり、そこには人が住めなくなる。こうなると終焉に到るしかない。(セキュリティやネット世界の治安は、川のゴミ拾いとでもここでは捉えておいていただけると良い)
 この流動力も定期的に、なるべく短い間隔で行うのが望ましい。システムは時々、イベントはしょっちゅうが理想だろう。ところで、ネットゲーム運営技術としては、一つの新システム全体をちょこっとずつ実装させていったほうが良いなどという考えがどうも出てきているらしい。流動性の観点からしてまことに有効と感じるが、不完全なものを提供していく事自体は決して褒められるべきものではない。完成系のイメージを提供し、それに至るようにちょこちょこ提供していくが、実際実現できないものも出てくる。こうなると嘘を付いたということになる。ROはこんなことがしょっちゅうであり、私は作品批評の立場からとても容認しがたいのである。
 ROは残念かな、旬を過ぎた。これはあくまで私個人としての判断であるが。今までは対抗馬が少なかった事もあり、杜撰な運営、イベントの欠如も決定的なユーザ離れに繋がらなかったが、そろそろ影響が出始めることだろう。指摘できる様々な問題点、私はこれを全て重力(開発元)やGungho(運営会社)の責任に帰するつもりはない、なぜならネットゲームの運営技術というものが確立されていないのであり、それを知らない事によるものが多いのだから。彼らは充分に頑張っているとは思われないが、手を抜いているというわけでもないのだろう。
 旬を過ぎたとは言ったが、終焉はもうしばらく先だろう。ローマ帝国とて、トライアヌス帝の時代(最盛期であり、ここから陰りが出始める)からローマ帝国滅亡まではなお時間がかかったものだ。ROはそれなりに優れたネットゲームではある。(なお、UOサイバネティクス性が高く、それゆえ私はUOのほうが優れていると思うのだが)私はこのゲームの雰囲気がやはり好きなのだ。今のところは最後まで付き合うつもりでいる。
 ネットゲームの終焉の姿を見たい、という欲求? そういう理由でもって現在のネットゲームに心中している人はどうやら結構いるようだ。私にもそういう欲求はある。しかし、興味というよりは私の場合は一つの義務でもある。ある程度専門的に知っているつもりの人間として、終焉の姿を目の当たりにして分析したいのである(ちなみに、MORPGMMORPGの終焉の形、重みは全然違うものである)。