知識の書と物語への渇望バランス

 私は図書館で本を借りるとき、ほぼ必ず、知識本と物語本を合わせて借ります。たとえば先日借りたものは、知識本は「精霊辞典」、物語本はアラン・ガーナーの「ブリジンガメンの魔法の宝石」。前者は知的好奇心の充足とか、自分の作品製作のネタ探しを目的とします。後者についてもネタ探し目的はありますが、単純にお話を楽しもうという意図、それから物語の構成、文体などを吸い出そうという理由で読んだりします。
 ところで面白いことに、ある期間期間毎で、どちらの本を読みたいかという傾向が変わるようです。なので、とりあえずどちらか片方は読めるように両方借りてくるわけです(^^;)。
 現在は物語を読むの方に熱が入っています。自己分析すると、創作意欲が分散中の時は知識の本、意欲が湧きつつあると物語の本、制作に取り掛かるとまた知識の本、となるようです。製作中に物語の本を避けるのは意図的ですけどね、要するに他の物語を吸収することによって製作しているものの傾向が歪められないようにという配慮からです。物語の中に良いTipsというのは結構見つかるわけで、そういうものを取り込むことは良いわけですが、しかし、製作に既に入った段階でそういう取り込み方をすると、当初の構想から軌道が変わってきてしまい、結果的に半端か統一性のない作品になる、と私の持論です。これはシナリオに限ったことでもなくプログラムの分野でも同じなのですが。
 ちなみに、図書館で借りたこの「ブリジンガメンの魔法の宝石」の感想をちょろっと。私の批評の眼からすると出来はあまり良くない(^^;)。本の中間部分の洞窟探索は必要性に乏しく、単に洞窟探索のスリル感を書きたかっただけのように感じました。ヴェルヌの「地底旅行」のミニ焼き直しといったところです。
 また、物語最初は少年と少女だけが出会うことができるファンタジー、という一つの約束の元に進むのかと思いきや、後半からは大人もたやすくその魔法の世界に入りこんでしまい、神秘性が一気に崩れてしまいました。あと、主人公の兄妹についても、少なくともこの1巻では、役柄がバラバラで、2人で1人分といった具合に感じられました。子どもが読むぶんにはそれなりにハラハラドキドキする物語なのだとは思いますが、私にはちょっと物足りない作品でした。
 児童向けの作品だったら物足りなくて当然? いやいや、G・マクドナルドの本なんて、子供向けに書かれつつも圧倒されたりするものです。つまり、子どもに深い感銘をあたえる本というのは大人だって感銘を受けるものです。そうでないなら、読み手の態度がまずいのか、その本は実は単に面白いという程度のものなのかのどちらかでしょう。優れた物語、児童文学はやはり優れた構成、優れた文学性を持っているわけですから。
 まあ、物足りないというだけで別にこの「ブリジンガメン」、ダメ出しするほどではないです(^^;)。それを言い出すと富士見ファンタジアの何割が物足りない作品になることやら。児童文学の特質を幾分かは持っている事は伺えますし、ウェールズファンタジーとしては味わいある作品になっているとは思います。でもお薦めはしない(ぉ)。とりあえず続きの「ゴムラスの月」だっけ? あれも続いて借りて読む予定。