追記

 ちょっと上記の件について追記というか考察というか。私は法規制とか検閲機関による、有害メディアの規制については慎重派、あるいは反対派に属します。しかし、Ratingの強化や、社会全体を通して、子どもから有害図書(従来は性的なものばかりが取り上げられてきましたが、ここでは暴力およびグロの領域も含みます)を遠ざけようとするいくつかの試みについては賛成するものです。今の日本は、社会的検閲力が弱いこともあってか、自己検閲力(社会的検閲が無かろうとも、自己自身の倫理によって行う無意識的な検閲のこと)も侵食されているのです。かつての西欧などでは、欲望に属する赤裸々な記述は認められず、社会的検閲を逃れつつ出版するために、現実世界のフィクションとして書かずに幻想世界の出来事だとか、幻だとか悪魔の仕業とか、そういった理由を付けていた訳です。これとバトロを比較するに、そういったカモフラージュをまったく必要とせずに、そうした小説が巷で誰でも入手できてしまうこと、この違いには少なからず驚かされるのです。これは別にバトロが完全に特殊な作品というわけでもおそらくは無いのでしょう、単に顕在化した1作品であったというだけで。そう、現実世界で与えられるメディアの多くが既に、非現実的なものに包まれているのでした。だからカモフラージュという装置を必要としなかったのでしょう。こう考えるとどうしても、ポストモダン……現実性の喪失という問題につきあたることになってしまいますね。(佐伯啓思の『「欲望」と資本主義』あたりを参照のこと)