ゲームポテンシャル、キャパシティ、ライフサイクル

 3/18の日記でゲームポテンシャルという用語を使いましたが、これは私独特の定義です。CreationCollegeでそのうちしっかり解説する予定ですが、若干遅れますので、ここでさわりだけ述べておきます。わざわざ述べるくらい、私のゲーム研究にとっては重要な用語だからです。
 コンピュータゲームに限らずゲーム全般に言えるのですが、つまらないもの、面白いもの、大変に面白いものと千差万別です。何がそれらを決定付けるか、と考えたとき、ゲーム性とか面白さという点に着目し考察していくことも可能ですが、もうひとつ別の見方を提示することができます。それは、作品というものはシステムの設計によって出来や評価が大きく変わる、というものです。この設計の中に存在する要素とその配置、相互の関係を私はゲームポテンシャルと呼ぶことにしています。実はこれはゲーム性と類縁関係にあるのですが、ここでは別物として一旦扱います。
 ゲームポテンシャルは直接的に出来を規定付けるものではありません。これを元に製作を行うわけですが、最大限にこのポテンシャルを発揮するものもあればしてないまま完成としてしまうものもあります。
 ここでもうひとつ用語を追加します。実際の作品におけるやりこめる限界量、つまりこれ以上遊べないくらい遊びつくしてしまった、というのを定量化できたと仮定し、それをゲームキャパシティ(容量)と呼びます。ゲームポテンシャルはこのキャパシティの最大値を規定付けます(=リミットキャパシティ)。つまり、ポテンシャルの低い作品は、どう頑張ってボリュームを増やすなりしても、基本的なシステムを組み替えない限り、ある値以上のキャパシティを持つことはできないというわけです。
 ポテンシャルが低いというのは、必ずしも要素の数が少ない、つまりシンプルである事は意味しません。将棋や囲碁はシンプルですが、実に思考性の高いゲームです。思考のバリエーションが異常に高いわけで、これは私はポテンシャルが高い作品と判断します。もっとも、対人という要素が自動的に高いポテンシャルを生む面があるわけですが、しかし要素の関係において何の矛盾も起こしていないシステムだとも言えます。短くいえば洗練されている、ということになります。
 さて、ゲームを開発するに当たっては、常にというわけではないでしょうが、ポテンシャルの高いシステムを心がけ設計するべきです。そしてまた、ポテンシャルを最大限発揮できるようなボリューム、つまり最大のキャパシティ値=リミットキャパシティを目指して製作していく、これが理想の形だと私は思っています。
 ちなみに、かつて私は、「ページ数の多い攻略本を書けるくらいのゲームが面白いゲームである」と書いたことがあります。このページ数はゲームキャパシティと私が呼ぶことにしたものとほぼ同等です。
 まだ述べていけるのですがここで止めます。ともあれ、マビノギの出来を評価するにあたり、このポテンシャルという用語を使いました。私はマビノギの持つポテンシャルがそれなりに新しく良いものではあると認めるものの、洗練が不十分で、かつキャパシティ的な実装も不足しているな、と感じています。βサービスであり無料で提供している以上、それは容認されるべきものですが、正式サービスとなった時点からは私の目は厳しくなることでしょう。この点において、正式サービス開始からも多くが未実装のまま放置しまくったROのようなゲームは、私の舌鋒を避けることはできません。
 ちなみに、MMOのような、ネットワークからのアップデートによってシステムやデータを変更・追加できるタイプの作品は、キャパシティおよびリミットキャパシティは常に変化しうるものです。といっても、がらりとシステムが変わるわけではないですから、ある程度現在の姿から、リミットキャパシティの将来的な変動も見通せます。
 なお最後に……いくらキャパシティの高い作品を作ろうが、その追加にかかる開発コストよりもユーザの消化するスピードのほうが速いものです。そのため、結局はどこかで限界が発生することでしょう。コンピュータゲームはいまのところ、ライフサイクルを持っています。プレイヤーはもう面白くないと感じた、飽きた時にそれから離れ、プレイヤーからの作品ライフサイクルが終了し、製作運営側はこれでは稼げないと判断したときに、製作側からの作品ライフサイクルが終了します(これは主にMMOについての話)。マビノギのライフサイクルはどうなるんでしょうかねえ…ラグナロクはとりあえず実績として2年以上持っているわけですが。MTGのように、製作側のライフサイクルが12年も続いている異常とも言えるゲームはコンピュータゲームの分野で今後出現できるのかどうか、この点についても私は非常に興味深いところです。
 説明というか、論は以上です。ここではポテンシャルの高い作品はどうやって作るかについては述べませんが、述べようと思っても、この理論体系そのものが未洗練であるがゆえに正確に述べることも難しかったりします。まあ現在進行形で考察している最中ということでそのあたりはご容赦ください。ともあれ、こう書いた以上は以後、キャパシティとかポテンシャルという言葉を気兼ねなく用いることができるようになるので楽ちん楽チン。